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アートの旅は快適か?@豊島アートサイト


北国に住んで二か月…道路ってこんなに歩きやすかったのか!と痛感しています。

VIVA!春!

というように、「訪れる旅」と「住む暮らし」では大違いです。

旅というものは、どこかで他人目線、地域のいいとこどり体験なのかもしれません。

かくいう私も2月に瀬戸内の島々にアート作品を点在させたART SETOUCHIの一か所、豊島(てしま)に旅してきました。

ART SETOUCHIとは、日本の地域アートの先駆けである直島のコンセプト(自然の中でアートを楽しむ)を瀬戸内の島々全体に広げ、瀬戸内自体をアート地域として観光・文化資源化しようという試みです。

(バックには福武財団やら北川フラム氏やら)

岡山から宇野港まで1時間、そこから約40分で豊島につきます。意外に近い!

豊島は2010年に豊島美術館が開館するなど、瀬戸内のアート観光の目玉の一か所になっています。

シーズンオフに行ったので、一部の作品しか見れなかったのですが、それでも十分雰囲気を知ることができました。

水がこぼれ落ちる様子を見る、という内藤礼の作品のためだけに作られた豊島美術館。シームレスで陶器の中に入ったような西沢立衛の美術館建築だけでも圧倒的に持ってかれる。そして尾のように軌跡を残しながら穴に吸い込まれてる水滴はまるで生命を孕んでいるようで、エロティックなような、神々しいような。

しかも目に見えないほどの細い糸がささやかにたなびいています。目を凝らすことを強いられることによって、自分は普段多くのものを見過ごしていたのではないかと気づかされます。

内部は取れなかったので、横にあるミュージアムショップで雰囲気を…と思っても伝わらない。

シーズンオフに空いている施設は限られていましたが、ボルタンスキーの心臓音のアーカイブは開いていました。老若男女、各地から集められた心臓の音を暗闇の中で体感できます。

砂浜に隣接した施設なので、海を見ながら心臓音を聞くこともできます。

ちょっとセンチメンタルすぎやしないかとも思うけど…

そして、自然豊かな田舎町に突如として現れる怪しげな建物。横尾忠則美術館(内部は撮影NGだったので外部リンクを参照ください。)

日本庭園に原色の岩と煌めくタイルで彩った空間や、滝の写真が一面に飾られている塔など、圧迫感ある展示。急に「田舎×怪奇=横溝正史的な事件の香り」な図式が成り立ってしまいます。

さて、ここまでだったら、自然豊かな瀬戸内の島でちょっと不思議なアート体験、癒されました~

で終わるんだけど、今回の旅は科学技術コミュニケーション関連の研究会で、豊島のもう一つの顔、産業廃棄物を無断で埋められていたゴミの島(通称:豊島事件)という歴史についても学ぶ機会がありました。

大量の産廃によって公害問題が発生した豊島、1997年にそのことが明るみに出て以来、豊島では県の責任を認めさせ原状回復を求める国の公害調停を島民一致で起こします。

損害賠償請求ではなく、原状回復…これにはとてつもない費用と時間が必要で、結局勝訴したのですが、この運動に関わることで、島民の人生は大きく変わっていったそうです。

こちらは住民運動の資料がまとめられている小さな資料館。写真は汚れた水をすべて浄化するための経緯を示しています。土、水、すべてを浄化するために、現在も処理作業は継続中です。

アートを見に来た旅人はこの資料館や産廃ツアーに参加することはあまりないそうです。

また、島民も気軽にアート観光とコラボレーションすることを敬遠しています。

どんな場所にも生活があり、どんな風景にもそれを維持するための努力があり、美しい田舎をきれいの一言で語るにはあまりにも表層的なんだけど…

だけど、そういう地域の事情に踏み込みながら旅をするというのも、それはそれで偽善のような気もします。

本当はこんなに長々と書いたもやもやを、アートには表現してほしいんだけどな。

美しいもの、心動かされるものの奥にある、やるせなさや苦しさを、そっと伝えてほしんだけどな。

アートの旅は快適か?

快適なだけのアートなんて飽きると思う。「快適に」水を差して、ちゃんと傷つけてほしい。

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