本当は、すごく前に行ったのですが、なかなかレポートに昇華できず、うちゃっていたポールスミス展。
そんなこんなんしてたら、京都での開催が終わってしまった。
とりあえず、一言でいうとどうしてこんな構成になってしまったのか?もしかして、気負いすぎたのか?
入り口を入ると、ポール・スミスがインスピレーションを受けたイメージが壁一面に展示されています。
えっと、洋服はまだ展示されないの?
結局出口付近にようやく洋服が展示されているのですが...遅くね?(遅くて写真撮り忘れてたよ!)
やはり表現形としての洋服が語ってこその哲学ではないか、と思うのですが。(例えばゴッホ展でゴッホの家とか、ゴッホが影響を受けた絵、とか延々見せられ、作品がなかなか展示されなかったら...?)
本展示はロンドンのデザインミュージアムから始まった展示です。
デザインミュージアムといえば、私が10年以上前、イギリスの工芸やデザインを取り扱う展示を中心に見て回った際に訪れた印象深い美術館です。
そのころ、日本では工芸や日常のデザインをアートとして取り扱って展示することが少なく、イギリスのcraft councilの展示やデザインミュージアムの存在は新鮮でした。
当時は細眉が流行っていたんですねー。
歴代のゲームが展示してあり、美術館でプレイできるという。ゲーム自体をデザインのカテゴリーでコレクションするというのもここで初めて知りました。
また、同時期にヴィクトリア&アルバート(V&A)美術館でヴィヴィアン・ウェストウッド展が開催されており、V&Aのコレクションからインスパイアされたヴィヴィアンのドレスが展示されていたりして、現在のデザインを上手にコレクションにつなげて紹介しているな、と感心したことがあります。
こんな昔話をしたくなるのも、今回のポールスミス展、展示というシステムをうまく使えていなかったのではないでしょうか?というのが感想を抱いたからです。
我々は、まだ洋服や工芸など日常で消費するデザインを展示を通してメタ的に見る、そして見せるという行為に慣れていないのかもしれません。
単に洋服をディスプレイしただけではショップのディスプレイと何ら変わりはありません。
だけど、洋服を中心に展示をしないと、作者の哲学をダイレクトに感じることは難しいと思います。
今年だけでも、東京でイッセイ・ミヤケ展(リンク開くと音が鳴るので注意!)、旅するルイ・ヴィトン展が開催され、服飾品のデザインを流行として受け止めるだけではない視点が生まれ始めていると感じます。
では、どのようにして日常のデザインを”博物館”で展示していけばいいのか。面白くも難しい課題だと思いました。
展示の様子だけサイトで比べると、イッセイ・ミヤケ展の圧勝だなって感じですが。